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zoom RSS 「赤松政則」 小山金波 著

<<   作成日時 : 2014/07/19 13:21   >>

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刀剣関係の古書である。赤松政則は応仁の乱のあとに、備前、播磨、美作の3国の守護となり、刀剣にも強い関心を示し、長船宗光を師として、自身で作刀もしている。著者は、当時の『蔭涼軒日録』などの比較的信頼度の高い古文書を引用して、赤松政則の事績を探っている。

赤松政則の作品として、知られているのは14口で、現存しているのは8口とのことだ。この本には200口くらい作刀したのではと書いてある。
赤松政則が作刀をした時期は、生涯で三回ではないかとし、最初は文明14年5月〜8月の播磨国坂元打ち、それに同年12月の京都北小路屋形での作刀。二回目は文明15年の大山口乱が終わった翌年の長享3年8月から延徳元年(長享3年)12月までの美作国大原陣中、三回目は明応3年12月の京都打ち、おそらくは六角大宮本能寺の作刀としている。

知られている作品は、1口を除いて、為打ち銘があり、これら人物の履歴を探ると、赤松氏の一族、配下、親しい武将などであり、恩賞の目的で与えたものではないかと推論している。

赤松政則は、作刀は長船宗光に学ぶが、鑑識の方は能阿弥から鑑刀を学んだ難波十郎兵衛尉行豊に学んだと推測している。そして能阿弥が三作としている正宗、吉光、それに長光を写したと思われる作品を政則が造っていることを例を上げて説明している。
具体的には、正宗写しは長船宗光、神山数連、小倉則純への為打ち、吉光写しは厚藤四郎写しであり、難波行豊への為打ち、長光写しは魚住実安への為打ちが該当するとある。

赤松政則が作刀において志向したのは沸出来のもので、これが次代の与三右衛門尉祐定や、次郎左衛門尉勝光などの沸出来につながると著者は論ずる。また相州伝志向は、次代の皆焼きに結びつくとも書く。面白いと思う。

『蔭涼軒日録』の中に銀工五島のことが出ているが、これは後藤祐乗のことだろうと推測している。


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