「宗教改革の真実」 永田諒一 著

ヨーロッパで宗教改革が生まれ、受け入れられてきた背景を知りたかったが、そういう意味では期待はずれだった。中世では異端、異教に厳しい姿勢のローマ教会が、どうして受け入れてきたのだろうか。

この本では宗教改革の庶民などへの影響が主として記されている。宗教改革は1517年にルターが「95ヶ条論題」を発表したことではじまる。この宗教改革が広がったのは、グーテンベルクの活版印刷術の発明を、宗教改革派が思想宣伝に利用したからともいわれている。たしかに1518年には180種類の出版書が、1520年までに合計570種まで増え、1524年までに990種を超えたそうだ。

ただ当時は、字が読める人は3~4%であった。16世紀中に識字率は都市で数十%に達したようだが、このような環境下では、集団読書として、読み聞かせが主だった。また絵入りの木版画でローマ法王を酷い者に描いて啓蒙したりしていたようだ。

当時のカトリックは贖宥状(しょくゆうじょう)を買えば、罪が消えるというようなものを売り出したりしていて、腐敗していた。また聖遺物も、それを持つと功徳があるとされていた(だから偽物が多い)。

宗教改革派は、聖画像の排斥、修道士の還俗と聖職者の結婚を認めることを要求している。なお、当時は伝染病などの影響で男女比が100対120くらいと女性が多かったそうだ。だから修道女になる者も多かった。

1524~25年のドイツ農民戦争で、農民側が負け、領主や都市政府の力が強くなり、領主の宗教が農民の宗教ということになる。都市によっては2宗派併存もあった。その後はこれまではカトリック教会であったものの所属・利用を巡って争いがある。争いは三十年戦争(1618~1648)の終了のウエストファーリア条約まで決着は持ち越される。

その間、宗派が異なる男女の結婚問題、グレゴリウス暦の採用(カトリックがこの早期採用を望む、従前のはユリウス暦)、カトリックの行列問題でもめる。

宗教改革派は中世的な生活システムの積極的な変更を求め、結果として宗教の自由を実現できたことになる。

読みが浅いかもしれないが、以上のような内容である。ルター派がどのような弾圧を受けたということは書いていない。ドイツ領主層の何人かがローマカトリックに反旗を翻したということだろうか。あるいは少しは合理的に思考できるようになり、カトリックの「これを買えば罪は許される」的なすすめに反発を感じたのであろう。


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