「真贋」 小林秀雄 著

これは小林秀雄の骨董、美術、文学に関する評論を集めたものである。ただし、文学関係は平家物語、西行、徒然草、実朝、徂徠、それに本居宣長に関することなどの評論があるが、何で真贋に関係するのか、よくわからない。
美術関係は、自分が趣味としている「古鐔」「鐔」は興味深いが、あとの焼き物の話、雪舟、光悦と宗達の話、現代絵画の鉄斎、梅原龍三郎の話などは、関心が薄い分、あまり興味は持てない。しかし、わかっている人にとっては興味深い内容なのだと思う。また、小林の骨董の師と言われている青山二郎と対談している対談が所載されているが、親しい間の話言葉特有に、言葉が端折られているから、内容がわからない。

(美を求める心)という章の中で小林は「極端に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです」と書くが、私もこの通りだと思う。小林も書いているが、絵は眼で観て楽しむものだし、音楽は耳で聴いて感動するものだ。”解ろう”とするものではない。
ここで傾聴に値するのは「感ずるということも学ばなければならないものです」と小林は逆説的に書いていることだ。
私の解釈は、絵を色々な機会で観ること、音楽も色々と聴くこと、こういう体験を通さないと感動も生まれないということだと思う。美術は色々観ないといけない。

「骨董はいじるものである、美術は鑑賞するものである」と書くが、この通りだと思う。骨董は手の触覚でいじりまわってわかることがあると思う。「買ってみなくてはわからぬ、とよく骨董好きはいうが、これは勿論、美は買う買わないには関係はないと信じている人々に対していうのであって、骨董は買うものだとは仲間ではわかりきったことなのである」(骨董)

「美しい物を所有したいのは人情の常であり、所有という行為に様々な悪徳がまつわるのは人生の常である。しかし一方、美術鑑賞家という一種の美学者は、悪徳すら生む力を欠いているということに想いを致さなければ片手落ちであろう」(骨董)

上記の(骨董)における文章は、まさにことの通りだと思う。

鐔についても、小林秀雄は興味を持った。そして蒐集をしている。この本にも写真があるが、この中では金山鐔は拝見してみたいと思う。
「この世界(鐔の世界)には、まだ人の見残したところもあるだろう、という考えを抱いた。周知の如く、慶長を境として古刀新刀と分けて言う。古鐔新鐔という言葉は使われていないが、その境というべきものは、江戸初期あたりに、かなりはっきりと見えるようである。その古鐔の類、といっても、普通鑑賞されているものは、先ず足利期以前に遡るものはないが、その古いところはには、まだ人々が見過ごした穴が幾つもあるのではないか、とたわけた事を考えていた。鐔に関する研究書を、折に触れて読んでみると、大体、みなまことしやかな事が書いてあると言った風なもので、まだこの世界は、調べがほとんどついていない、つまり穴だらけのように想われるが、ただ鐔の姿を見て好き好きを言う世界には、穴なぞ何処にない。幾百年の間、黙って見て見て見抜かれている世界である。ー中略ーもう何もかも見られて了っている。」(古鐔)

鐔の研究はまだまだ穴だらけだが、「いい、悪い」の鐔鑑賞の世界は、先人によって、もう見尽くされていると書いている。私も40年以上やっているが、この通りだと思う。

「人間は、どう在ろうとも、どんな処にでも、どんな形ででも、平常心を、秩序を、文化を捜さなければ生きて行けぬ。そういう止むに止まれぬ人心の動きが、兇器の一部分品を、少しずつ、少しずつ、鐔に仕立てて行くのである。やがて、専門の鐔工が現れ、そのうちに名工と言われるものが現れ、という風に鐔の姿を追って行くと、私の耳は、乱世というドラマの底で、不断に静かに鳴っているもう一つの音を聞くようである。」(鐔)

「鐔好きの間で、古いところでは信家、金家と相場が決まっている。相場が決まっているという事は、何となく面白くない事で、私も、初めは、鐔は信家、金家が気に食わなかったが、だんだん見て行くうちに、どうも致し方がないと思うようになった。花は桜に限らないという批評の力は、花は桜という平凡な文句に容易に敵し難いようなものであろうか。」(鐔)

結局、小林は信家の鐔に行き着いた。「茶碗は井戸」というのと同じ意味で「鐔は信家」であり「井戸もそうだが、信家もこれほど何でもないないものが何故、こんなに人を惹きつけるか、と質問して止まないよう」だとまで言っている。

「平和が来て、刀が腰の飾りになると、鐔は、金工家が腕を競う場所になった。そうなった鐔は、もう私の興味を惹かない。鐔の面白さは、鐔という生地の顔が化粧し始め、やがて、見事に生地を生かして見せるごく僅かの期間にある。その間の経過は、いかにも自然だが、化粧から鐔へ行く道はない。」(鐔)

端的に言えば小林秀雄は、江戸期の鐔は認めていないということだ。もっとも肥後鐔などは蒐集していたようだが、これにも私は同感するところがある。(刀で寛文新刀があるように、鐔にも肥後、赤坂などに観るべきものがあると私は思う)






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