トルコ旅行③ーキャラバン・サライ(シルクロード)

パムッカレからコンヤへ向かう途中にエイルディル湖という大きな湖がある。この湖畔のレストランで昼食を食べるが川マス料理(特に手が込んでいるわけではなく軽くフライにしたもの)は実においしかった。また、この地方はバラが有名なところで、バラの香水やバラのジャムなどを買う。バラもチューリップと並んでトルコが原産のようだ。世界の人気園芸植物がトルコ原産というのもすばらしい。

この店の前に、シルクロード沿いにあった隊商宿(=キャラバン・サライ)の跡がある。現在は商店として使われていた。今でも、隊商宿の跡がトルコ中に多く残っているようだ。そして、コンヤからカッパドキアに向かう途中で、保存の良い、立派なキャラバン・サライの中を見学した。

石造りで大きな箱型の城館のようなものである。周りの壁の高さは10㍍近くあり、40㍍×80㍍くらいの広さだろうか。門はラクダに乗って入れるほどの高さがある。その門を入ると、石畳がある広場があり、中央に礼拝をするような外壁と同じくらいの高さの建物がある。左側には、間口3㍍で奥行き20㍍くらい、高さは外壁までの部屋が並んでいる。ここに商人やラクダが泊まったようだ。右側にも部屋はあるが、ここには荷物を中心に納めたようだ。ラクダも泊められたようだ。もちろん水飲み場もある。ここでは、夜の内にラクダの蹄鉄を直すようなことを頼むのも出来たらしい。ここはキャラバン・サライの中でも大きい方であるが、こじんまりした所など、いくつかの種類があったようだ。日本の宿場町の本陣、脇本陣みたいなものなのであろうか。

門は日が沈むと閉じられて、隊商の安全を守ることができた。10世紀頃からトルコ国内の治安も悪くなり、シルクロードを歩く隊商も、貴重な荷物を運んでいるだけに、金を払っても、このような隊商宿を利用したようだ。この施設は国が造り、運営し、宿賃で収益を上げたというわけだ。

今の保険制度のような仕組みもあったようなことをガイドが述べていた。

シルクロードは、トルコ国内には4本ほどのルートがあって、終点のアンティオキアやコンスタンティノーブル(イスタンブール)に至るが、ラクダや馬が通れる道として、狭い幅で、それなりの盛り土があったようなことをガイドが述べていた。ラクダの一日の行程が約30㎞だったから、30㎞ごとに、このようなキャラバン・サライが設けられていたことになる。

日本の東海道を歩く旅行者も、男であれば1日30~40㎞、女で20~30㎞が標準だったようだが、似ている。もちろん、今はこのように残っているキャラバン・サライは少ない。男たちがたむろするカフェなどになったりしているらしい。
隊商が、地中海の沿岸に着けば、後は船でもローマに行けるし、ローマ帝国に入れば「すべての道はローマに通ず」だ。

前年にローマ、前々年に中国の西安、昔の長安、シルクロードの起点に行っているから、感慨にふける。
シルクロードが使われなくなったのは、気候が大きく変動して、砂漠化が進んだためかと思っていたが、大航海時代が始まり、船での運搬の方が安全かつ大荷物を効率的に運べるようになった為と聞き、納得した。

長安から遠路はるばると運ぶのは、農耕民族の発想では出ないと思う。このような冒険商人はトルコなどの遊牧民が多かったのだと思う。それにしても、凄い距離を運んだものだと思う。旅行中のバスで沿道の風景を見ているが、草原、木のほとんど無い小山のようなところを進んでいく。メッカの方へ向かっての礼拝などで方向感覚はあったのだと思うが、信じられない旅行だ。

ちなみに喜多郎の「シルクロード」はトルコでも人気があるようで、今度また喜多郎のコンサートが開かれるとガイドが述べていた。

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