「武具の日本史」 近藤好和 著

この本は甲冑、武具、馬具などのことを調べるのに良い本である。武具は刀剣類から鉄砲、大砲まで網羅している。まず、日本の武具の特徴として①中世、近世の武具は美術的価値が高く、鑑賞品としての側面がある。刀剣、甲冑はとりわけ美術的価値が高い。ヨーロッパの武具は金工技術が主体なのに対し、日本のは金工技術のほかに、漆工技術、染織技術、皮革技術などとの共作である。②武具が神社を中心とする宗教施設に奉納される点。これは世界史的にみれば特殊なことのようだ。

武具の歴史は、遺品、文献、絵画の三者からの考察が必要と述べているが、確かに、この通りだろう。
戦士は4種類に分けられる。弓射騎兵、打物騎兵、弓射歩兵、打物歩兵である。律令制下では弓射騎兵、弓射歩兵、打物歩兵の3形態であった。中世前期の戦士は、弓射騎兵、打物歩兵、弓射歩兵。この頃は弓箭が主体であった。当時の弓射は左前(弓手射)だけでなく、前方(追物射)、後方(押し捩り)、右方(馬手射)も弓で射る。実戦で大事なのは立鞍と腰の捻りだったようだ。

中世後期は打物騎兵。打物歩兵と弓射歩兵。騎射よりも歩射の必要性が増加し、歩兵の攻撃が弓射になり、騎兵では弓を携帯する必要が薄れる。近世の武士は打物騎兵、打物歩兵、弓射歩兵、そこに新たに鉄砲歩兵。打物の基本は槍となる。

長刀は、中世前期は悪僧も含めた打物歩兵の攻撃具で、中世後期には打ち物騎兵が馬上で使用。遠心力を利用して縦横無尽に振り回すもの。長刀は両手使いだが、太刀は馬手の片手使い。
槍は、初見が南北朝時代。鎌倉末期に成立。中世末期には中心的攻撃具。近世には持槍(手槍とも言い、長さ9尺以下の入念な造りで打物騎兵や徒歩組が使用)と長柄槍(数槍…粗末だが二間半から三間半の長寸)に分かれる。

打物騎兵は、長刀あるいは持槍に、腰に太刀2振、それに腰物(右手差も)というスタイルで馬上に乗る。

面白かったのは、彎刀の起源についてである。刀身と外装は一体であり、直刀でも外装が彎曲していた。通説は直刀は徒歩刺突用、馬上斬撃の為に彎刀化が彎刀の起源とされているが、外装上の工夫を刀身に取り入れたのが彎刀。だから彎刀化は刺突きから斬撃へという機能の変質ではなく、斬撃力の強化と位置づけられる。

武士の発生は、9世紀末以降に国衙を襲撃したり、中央に運ぶ途中の税物を略奪するなどの小規模な反乱行為が東国で起こる。その反乱集団を党、彼らの反乱行為を群党蜂起という。これに対して朝廷は賜姓皇族を中心とする中級、下級の貴族を、国司や追捕使、押領使などの武官として派遣。かれらは任期終了後も在地に止まり、在地有力者と婚姻などを通じて血縁的、地縁的に結合して勢力を持ち、群党化する。

在地に留任の軍事貴族が承平・天慶の乱をおこす。この乱の結果、平貞盛の桓武平氏、源経基の清和源氏、藤原秀郷の秀郷流藤原氏の子孫を中心として武士という軍事貴族が生まれる。

武官は朝廷の官職、武士は朝廷の官職ではなく、社会的に認知された存在。認知の指針は武芸の家系の子孫である点、特に天慶・承平の乱での活躍。だから戦闘の開始に氏文読み。

大小二刀の佩帯は身分を問わず流行したが、理由は不明。

鉄砲のことも面白かった。


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