「たがね」 横山宅美 編

この本は、刀剣・刀装具の権威の方からいただいた本である。横山宅美という岡山の人が、当初は「鏨をたずねて」という雑誌名で、7号からは「たがね」という雑誌名で、昭和31年から昭和35年まで、全部で11号の刀装具に関する雑誌を発刊され、それを合本にしたものである。

内容は、鐔を中心に刀装具の写真を多く掲載し、そこに投稿された文を載せてまとめたものである。鐔も名品ばかりではないが、面白い資料もあり、それは、その研究家にも紹介した。

記事の執筆者には、勝矢俊一、川口大臥、上森岱乗、服部栄一などの名の知られた方もいるが、岡山の愛好家もいる。記事は各号に2編程度と多くはない。

記事のなかでは、川口氏が「明治大帝と井上通泰先生」が興味深い。岡山の県立病院長もされた井上通泰が歌人として有名で、川口氏も、その門に入る。井上氏は川口氏の縁で秋山久作翁とも交流されたようだ。また歌の縁で、明治大帝崩御後の歌集編纂を頼まれ、そこで田中光顕伯爵から聞いた話などを紹介されている。
明治帝は20万首の歌を作られたとのことで、それらは封筒の裏などにメモされていたようだ。井上氏が拝読すると、猿を詠んだものが一番多く、次が馬、それから3番目が日本刀を詠まれた歌だったそうだ。明治帝は馬と日本刀が大好きだったようだ。
地方巡幸のおりには土地土地の名刀を拝見されるのが楽しみで、伊豆の三島神社の北条家奉納の菊一文字が偉く、気に入られ、田中伯爵を通じて、替わりに一文字吉用を遣わされたようだ。
厳島神社では古青江包次が気に入られたが、田中伯爵が、それでは替わりに小龍景光を言ってきて、さすがに明治帝も諦めたそうだ。
川口氏が井上氏のおともでフロックコートを着て、天皇家の小烏丸、小龍景光、菊一文字、来国俊、景光景政合作などの名刀を虫干し時に拝見したようなこぼれ話も書いている。

勝矢先生の文も、信家論を書いた後の趣味人の反応や、日野雄太郎とのやりとり、ボストン美術館の夏雄の素晴らしさ、長崎でキリシタン鐔が出た時に買おうと思ったが法外な値段をふっかけられ、結局、それは大浦の天主堂の宝になっていることなど興味深い。

当時の刀剣界への批判も匿名の記事には多い。今と変わりはないところが面白い。
「審査会場で人を罵倒する御仁がいて困る」「貴重審査会場で、永年、何回と提出した功で、昇格させてもらった人物」「協会本部があっての支部なのか、支部があっての本部なのか」「審査員が地方審査で「私は新々刀が嫌いですから特別貴重ではなく貴重にしました」と言ったが、好き嫌いで審査されてはたまらない」「他人のものにケチをつけるのはやめろ」「ケチをつけて、まんまとせしむる奴がいる」「人間、神様でないから間違いもある、これほど横着な言はない。ふんぞりかえり権威ぶる前に素直ぶる方がいい」「ある審査員は2言目には刀屋なるものをけなす。ある刀屋曰く、あの審査員は高級ブローカーです」「斯界のトラブルは通常数寄者と呼ばれるいわゆる素人が商人以上の芸当をやってのけるところに原因がある」「丸特に合格するまでに一体何回の研磨を重ねると言うのか。この5、6年で百年は刀の寿命が縮まったことであろう」

刀は地元岡山の愛好家のがわずかに掲載されているだけである。その中では杉野一太という方が山岡重厚氏からもらったという景光の短刀。これは拝見してみたいものでした。

この雑誌、結局は資金が廻らなくなって廃刊したようですが、当時の刀装具界の熱気が伝わるような感も持ちます。

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