「戦国・北条一族」 相川司 著

先日、読み、ここで紹介した「龍馬を殺したのは誰か」を書いた相川司の新著である。
http://mirakudokuraku.at.webry.info/200910/article_9.html

これは友人だから推薦するということではなく、本当に良い本だ。戦国時代の関東のことがよくわかる。あなたもそうだろうが、関東の古河公方、堀越公方などの位置づけ、関東管領上杉家、それも山内上杉、扇谷上杉と別れていること、それから上杉謙信が性懲りもなく三国峠から関東平野に入ってくることなど、よくわからないと思う。
この本は、これらを全て解消してくれる。まず、室町幕府は日本を2つに分けて支配したというわけだ。一つはもちろん室町将軍家、そしてもう一つが鎌倉公方家。ここが支配したのが関東御分国として、関東と奥羽となる。このように決めたものの室町将軍家は鎌倉公方の上と思っているから口を出す。こういう中、中世特有の家督争いがあって古河公方、堀越公方などが生まれる。三管領は斯波、畠山、細川が有名だが、関東御分国の管領が関東管領で上杉家というわけ。そしてその下に関東八屋形と呼ばれる名家があった。千葉、結城、小山、長沼、宇都宮、那須、佐竹、小田氏が該当する。
そして西国でも管領細川家に執事として三好氏、そのまた執事の松永弾正と権力が移ったように、上杉家の執事に太田道灌で有名な太田氏などが権力を持ってきた。
応仁の乱(1467~1477)が京都であったように、関東でも同様な戦乱「享徳の乱」(1454~1482)がある。まさに関東大乱、30年戦争だ。このような仁義無き戦争の中だからこそ、中世における権威に頼る風潮も理解できるわけだ。一所懸命で獲得した土地を守ってもらう権威に国人(地侍)は頼ったのだ。昔の戦争では近代国家と違って兵の命を大事にしたと書かれているのも本当だろう。

さて北条氏だが、早雲は京都の室町幕府申次衆の伊勢氏の出身で、姉が駿河の今川氏の正室であり、駿河に下向する。そして伊豆の堀越公方家の内紛を抑えるように京都の方から指示を受けて制圧したことが関東にかかわったはじめである。
これまでの記述でご理解いただけるように、伊勢氏は室町幕府の名家だが、関東の権威とは無関係というわけだ。ここから伊勢氏を北条に改姓するなどして関東の権威になろうと苦心していく。そして一方で関東制圧を広げていく。善政をしいたようだ。ただし関東の旧勢力にとっては最後まで北条は「他国の凶徒」となる。一方、関東管領を継いだ謙信は権威として関東に影響を及ぼそうとして関東に出兵する。義とはこのような大義のことだ。
ここで著者は中世における河川、ここ関東平野では利根川(昔は関宿から今の江戸川に流れていた)の役割の大きさを指摘する。なるほどと思う。北条氏の支配圏も利根川以西がしばらく続いた。
かように、不思議と思っていたことが氷解する良い本だ。

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この記事へのコメント

戦国
2009年12月06日 05:30
謙信公の大義が分かって貰えず残念です

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