「あの戦争は何だったのか」 保阪正康著

最近、半藤氏とともに太平洋戦争に関する本を何冊か上梓している保阪氏の本である。いい本である。
氏は日本人は、太平洋戦争にきちんと向きあって総括していないと言う問題意識から書いている。具体的に言うと「何で、あの戦争をはじめてしまい、どうして早く終えられなかったか」ということである。
はじめに当時の軍人の成り立ち、組織を論じている。確かに私も軍部というひとかたまりでしか把握していなかった。軍は「軍政」と「軍令」に大別され、軍令が俗に言うところの大本営となったわけだ。そこはキャリア組がいくところで、中でも「作戦部」が超エリートだった。陸軍のエリートは陸軍大学などで統帥を学ぶ。統帥とは天皇に奉公することである。統帥権が議会などが持つ統治権を上回ると彼らが考えるには必然があるわけだ。
(注)エリート集団の失敗、しかも誰も責任を取らないこのような体制を私は軍官僚主義と呼んで、おおいに問題視し、これは現代でも同じと警鐘しているのだが。
余談だが、この本で陸軍大学の第一期卒業生の中で、一番の成績だった人物として東条英教がいることを知る。東条英機の父である。
次ぎに普通の兵隊のことであるが、満20歳になって徴兵検査を受け、2年間の兵役義務があり、予備役は5年。後に、それぞれが延長される。有力者の子弟にはお目こぼし的な徴兵逃れがあったことも記されている。このことも含めて東条は人事を自分の都合の良いように執り行うきらいがあったようだ。

戦争をはじめる前に陸軍省戦備課が試算するとアメリカとの軍事力の差は1対10。これも甘いのだが、これに日本の潜在的国力、地の利で1対4になると分析して報告。最後に東条が精神力を加味して、アメリカに勝てるとしたわけだ。
このようなバカな比較が通る背景に2.26事件があると指摘する。テロの恐怖が政治家に植え付けられてまともな反論ができなくなったと考える。この時、天皇は断固討伐を毅然と主張する。ただ、この時に主張しすぎたことで、逆に戦争時はだまってしまわれたとも書いている。またこの事件を期に統制派、特に東条、梅津が主流になり、意に沿う人物だけが登用されるようになる。見識を持っていた山内正文、磯田三郎、辰巳栄一、多田駿などの軍人が排斥されていく。
(注)2.26事件については、このブログに『盗聴 二・二六事件』(中田整一著)を取り上げているが、これもいい本である。
http://mirakudokuraku.at.webry.info/200802/article_13.html

ドイツと手を結んだ背景は、蒋介石が負けないのは米、英が援助しているからという意識があり、敵(英)の敵(ドイツ)は味方という意識からのようだ。その延長に南進論(陸軍は北進論が多い。ゾルゲがスターリンに日本が南進論と報告し、対ドイツ戦に集中していく)が主流になる。
著者は開戦の決定のキーは海軍だったと論じる。南進には軍艦がいる。海軍がOKしないと戦争はできない。海軍の中にも石川信吾、岡敬純、富岡定俊、神重徳という開戦論者がいたことを指摘している。石油は2年と持たないという嘘の報告も、石川、岡が作った。少し前の私のブログで、阿川弘之の海軍贔屓に疑問を呈したが、こういうことなのだ。
そして当時の首脳部の誰もが「この戦争をいつ終わりにするか」に答えを持たない戦争に突入していく。(相手が屈服した時が終わりというような作文はあるが、相手任せの空文)
戦争になると、暗号解読戦で負け、もちろん国力(生産力)の差で負ける。嘘の大本営発表で精神を鼓舞し、嘘の発表に基づいて戦略を立て、当然負けるなんてことも繰り返し、悲惨な状況に陥っていく。大本営のエリートは負けたら、そこの部隊が弱かったからと分析(実は決めつけ)して、また別の部隊を投入するような同じ過ちを繰り返していく。

保阪氏は書く。「資料に目を通して痛感した。軍事指導者たちは”戦争を戦っている”のではなく”自己満足”しているだけなのだ。おかしな美学に酔い、一人、悦に入ってしまっているだけなのだ。兵士たちはそれぞれの戦闘地域で餓えや病で死んでいるのに」と。
ガダルカナル、アッツ、特攻、そして無能な牟田口廉也のインパール作戦と筆は進む。
天皇は終戦の時にはじめて意思を強烈に出した。そして8月15日。戦争はその後も続き9月2日に降伏した。シベリアに抑留された兵隊のこと、インドネシア独立戦争に投じた兵隊のことも書いて、本は終わる。

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