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zoom RSS 「蒙古襲来と北条氏の戦略」 成美堂編

<<   作成日時 : 2017/09/24 21:48   >>

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雑誌のような本である。グラビアも多く、中は分担されて執筆されている。それなりの面白さがある。

鎌倉時代は、内乱というか権力争いが多い政権という印象がある。次のような状況である。

1199 梶原景時の追放、討伐(頼家の養育係を討つ)
1203 比企氏の乱(頼家の嫡子の養育係を討つ)
1205 畠山重忠討たれる(時政の妻牧の方の言い分が通る。)
北条時政、妻牧氏の叛旗、時政の娘婿平賀朝雅討伐
1213 和田義盛討伐(和田合戦)→実朝、北条義時が勢力を
1219 実朝暗殺(義時は知っていたと思われる)
1221 承久の乱
1232 (御成敗式目)
1246 名越光時、宮騒動(北条氏の外戚が三浦氏から安達氏へ)
1247 三浦泰村とその一族500人を滅ぼす(宝治合戦)
1272 北条時輔とその与党を討つ(2月騒動)
1274 文永の役
1281 弘安の役
1285 安達泰盛と一族を滅ぼす(霜月騒動)
1293 平頼経を討つ
1297 (永仁の徳政令)

御家人のあり方などもわかりやすい。

御家人は鎌倉殿から御恩としての本領安堵である。その代わりに奉公として、労働的負担の軍役(異国警固番役、京都大番役、篝屋番役、鎌倉大番役)と経済的負担の関東御公事 (多種多様で幕府諸儀式、社寺の修繕、石塁の築造など)などがある。

それまでは下司職(げししき)、公文職(くもん)などの職の形で荘園領主や国衙から領有を認定されていたのが、鎌倉殿から地頭として任命される。

御家人は奉公の武功により新恩地の給付があり、鎌倉から京都に対して任官の申請がされる。任官は関東御分国の国司推薦、朝廷の財源確保の成功(じょうごう)に応じる御家人の推薦などである。推挙(鎌倉→朝廷)が得られる。鎌倉前期の兵衛尉、衛門尉で1万疋(疋=銭十文)、鎌倉後期には700〜千疋の対価となる。

だんだんと御家人の家が分化してくるので、幕府が把握しにくくなり、惣領制がとられる。

蒙古軍の剣や槍は同一の官給品であり、交換も容易。 弓は動物の骨や竹を貼り合わせた短弓で射程200b、矢には毒。槍は種類があり、片手に楯、投げる槍や長槍がある。鉄炮(陶器製の玉の中に火薬や油脂布を詰めた震天雷)もある。遊牧民は一人3頭の馬、弓4張り、矢は400本が基本装備。

船で来襲したので、食糧を調達するのに難があり、それで現地での略奪がひどくなる。また遊牧民だから牛馬を食べるのが当たり前であり、それに違和感=残虐感を持つ。

一方、日本軍は各御家人が一族で参じ、「弓箭の道、進むをもって賞とす」との精神で、進む。それを集団で蒙古兵が殺すという戦い。日本兵は勇敢という印象を元軍は持つ。

文永の役にも大風が吹いたかは色々と議論されているが、戦略的な撤退の中で大風が吹いたことは間違いがないのではという研究を載せている。

鎌倉武士の家訓として、北条重時のものとされる『六波羅殿御家訓』、『極楽寺殿御消息』を紹介しているが、内容は、弓矢の稽古、馬術の稽古が大事、礼儀正しく、施政は正しく、下のものにも慈愛をというような内容である。

なお当時の武士の戦陣での食事は朝夕で玄米5合=750グラムで2600カロリーということが基本だったようだ。

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