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zoom RSS 「一冊でつかむ日本中世史」武光誠 著

<<   作成日時 : 2017/08/30 08:35   >>

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平安遷都から戦国乱世までの歴史を簡単に要約している。こういう本は史料を読み込んで頭を整理していないと書けないものであり、参考になる。

この時代の主役の武士について、武士は自ら農地を経営する独立した小領主であり、農地を守る為に武装したのが武士とする。鎌倉幕府は自立した武士のまとめ役。一方、江戸時代になると武士は幕府や大名に仕える勤め人。

武士は自ら農地を経営する独立した小領主であり、農地を守る為に武装したのが武士。だから武士は自分の治める農村に強い愛着を持ち、そこに住む農民たちとの絆を重んじる。農業経営を行う小領主である。
中世は武士と農民の間の身分差が明確でない。地主層とよぶべき有力農民がいた。
地頭や荘官の地位にあって一つの荘園村落の支配を委ねられた者は武士。この下の名主も下級武士か有力農民かは曖昧。

西洋中世の武士(騎士)は専門の戦闘集団。自らを特権身分と位置づけ、支配下の農民を差別した。祈る人の聖職者、戦う人の貴族や騎士、働く人の農民の三つの身分。

弥生時代中期の紀元前1世紀末に国が造られる。人口2000人ほどの小国。奈良時代にいたる時代の主役は、小国の首長の系譜をひく地方豪族、郡司である。
奈良時代末期、天皇や上級貴族が仏事に国費をつかい、地方政治をおろそかにしてきた。その間、一部の郡司や有力農民が勢力を拡大し、小農民の没落が目立つようになる。

平安遷都を実行した桓武天皇は地方政治の刷新に力を入れ、雑徭という力役を軽減し、勘解由使という役所を設けて国司を監督した。形式化していた班田収受という田地の調査を回数を減らした。
こうして良吏と呼ばれる国司の活躍が目立つようになる。良吏は任地の郡司を指導して意欲的に農地開発を行い、中央の最新の農業技術を地方に広めて、商工業を育成した。

東北の開拓も進める。(8世紀の住居から鉄器が出土する割合は約19%、9世紀では約39%。田堵と呼ばれる有力農民が出現。これが10世紀に名主と呼ばれる)
平安時代前半に郡が有名無実になる。
郡司や有力農民の子弟を集めた健児と呼ばれる精兵が於かれた。
この改革は平城天皇と嵯峨天皇にも受け継がれた。嵯峨天皇は法の整備にも力を入れ、弘仁格式を編纂。
貴族社会に学問を重んじる気風が広まる。政務だけでなく、書画や音楽に巧みに幅広い教養に通じた貴族が尊敬されるようになる。貴族が文化人の集団に変わる。

嵯峨天皇の後に、承和の変がおこる。藤原良房が力を持つ。藤原氏が力を持つと、古い 貴族層が没落する。
そして藤原氏と嵯峨源氏が独占する。都落ちの貴族は地方の武士となる。
令外官の蔵人(天皇の秘書官)と検非違使(京都を警備)が重んじられる。

摂関政治のもとで、貴族の家格はしだいに固定。そして国司を務める受領層と呼ばれる中流貴族層がつくられた。
国司は10世紀はじめに、成長する村落の小領主層に対抗するために新たに国衙軍を置く。それに対抗するために、村落の小領主が馬上の武芸を身に付けて武士となる。

国司が良吏でなくなり、ただの徴税吏となり、紛争が起こる。群盗と呼ばれ、それを京都から押領使、追捕使に任命して派遣。そのまま地方にいすわる者もでる。棟梁(源氏、平氏)→一国規模の有力武士(千葉、三浦、足利)→荘園単位の武士(熊谷、曾我)→家子(庶子、一族)→郎党(郎従、家人)→下人

平将門の乱。関東を中心とする地域がまとまる。そして承平・天慶の乱のあと、軍事貴族が生まれる。

院政期(摂関家を脱却)→後三条天皇が荘園整理令を発した。国司の治める公領と荘園を区別した。そして荘園公領制。(別名制)公領と荘園に区分され、それぞれの中で有力農民の持つ別名となる。

大開墾の時代(牛耕、馬耕、上流、中流の武士、これら武士の持ち物となって荘園)となる。地方有力武士が生まれる。この時代の終わりに保元の乱。平治の乱。

平氏は軍事貴族の有力なもの。日宋貿易。国内の武士を十分に組織できなかった。

頼朝は義経追討に必要としえ守護、地頭の設置を認めさせる。
源氏に従う武士を御家人。(頼朝と主従関係)東海道、東山道からなる東国の支配権を承認させる。
だんだん守護が任地の武士を支配していく。承久の乱で六波羅探題。西国に新補地頭を置く。
そして御成敗式目を北条泰時。

国司・荘園領主(名目上の領主)→地頭・非御家人(実質的領主)→直営田=名田、佃という関係である。別に地頭・非御家人が名主となる流れもある。

武士は質素な生活、配下の農民を護るために武芸を鍛錬。戦士と同時に農民の指導者。戦いを避けて周辺の武士と協調。土地争いは幕府に裁定を求める。商品経済も発展。三斎市。

平安時代の仏教は貴族の為の学問や密教的な呪術。鎌倉時代は庶民など広い層を対象。座禅によって心を鍛える禅宗は武士の間で広まる。

鎌倉時代から戦国時代にかけて国内の農業技術が順調に発展して米の収穫量が増加。これに伴う手工業も発展。全国規模の流通が拡大し、中国、朝鮮の工芸品も広まる。
平安時代約550万人が、安土桃山時代には約1800万人になる。
江戸幕府は戦国大名が一国規模で進めた経済政策を日本全国を対象に意欲的に行う。元禄期まで急速に豊かになる。

天皇も幕府も権力を独占できずに互いに支え合うことで存続していた。

鎌倉時代の半ばから、名越氏、千葉氏を追放する宮騒動。その後に三浦氏を滅ぼす。そして元寇。この後に御家人の窮乏化(相続で分割した為という理由もある)。そこで永仁の徳政令。すると商工民と中小御家人の対立。御家人の不満。悪党の出現となる。
また霜月騒動で北条得宗家の権限が強くなる。その結果、北条一族が多くの守護となる。各地の武士は、守護でなく、近くの有力武士に従うようになる。これが鎌倉幕府を倒す。

足利尊氏が建武式目。尊氏と弟直義の戦いがおこる。それぞれが南朝と組んだりして騒乱が続く。
義満の頃に統一。室町幕府はあつめやすいところから租税を取った政権。
各地の有力者が守護として残る。その勢力の均衡の上に立つ政権。彼等が侍所の四職などになる。

村落の有力武士は国人と呼ばれる。守護大名は国人のまとめ役。平素は京都にいて、領国には守護代。
能や連歌の流行で、貴族文化の流れが全国に広がる。農業は発展する。水車、三毛作、肥料も工夫や茶などの栽培。各地の特産は京都に。座が組織。
農村は惣村。神社の祭司を行う宮座を核にまとまる。村掟があり、領主のかわりに自分達で徴税する百姓請け、自分達で治安を護る地下検断を行う。領主に対して強訴、土一揆も行うようになる。

惣村に対抗するために国人は武力強化。応仁の乱のあとに守護大名は国に戻らざるをえなくなる。そして室町幕府は衰え、下克上となる。

日明貿易は室町幕府。その後、堺は細川家、博多が大内家が担当する。大内家が亡び、各地の国人が貿易するようになり、力をつける。
国人がまとまり、惣村の指導者に地侍がつく。

指揮官の命令で、長槍を用いる徒歩の兵士を思いのまま動かす集団戦が可能となる。戦国大名は独自の法を領国に出す。鉄炮が普及し、その結果、具足の改良(鉄板を色糸で綴るものから、身体の前面を鉄板で覆う当世具足)、厚い築地塀の城郭などが生まれる。戦いが大がかりとなり、領内の武士を城下に集めるようになる。
織田信長は能力で指揮官を抜擢する。
都市(門前町、寺内町、港町、城下町、自由都市)が生まれるようになる。

秀吉は惣無事令をだす。そして、中世の複雑な土地関係を解消する検地をおこない、実際に土地を把握している者をつかむ。刀狩り。身分制(兵農分離)を打ち出す。

日本国内の戦争では、勝った方の新しい領主に農民は忠誠を誓う。自分達の安定した生活を保障してくれるからである。だけど朝鮮の人は、日本人がそのような生活保障をしてくれると思わないから日本人に従わない。それで朝鮮出兵は失敗する。

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